「痰を取るためにこれから管を入れます。しばらくご辛抱ください」「いえいえ、お願いするのは私のほうです」──。松下記念病院の一室で、院長と最後の会話を交わした1週間後の1989年4月27日、松下幸之助は94年の生涯を閉じた。「神様」と呼ばれながらも周囲への気遣いを忘れなかった、幸之助らしい言葉であった。

幸之助を希代の経営者たらしめた理由として、幼少期の貧困や学歴のなさ、病弱だったことがしばしば挙げられる。ただし、それだけではないはずだ。逆境の中で一筋の光をつかんだ幸之助の人生とはどのようなものだったのか。

1894年11月27日、和歌山県で8人きょうだいの末っ子、三男として幸之助は誕生した。松下家は小地主で資産家だった。しかし幸之助が4歳のとき、父・政楠がコメの先物取引で破産し、松下家は所有していた土地や家を売り払い、以後貧しい生活を余儀なくされた。同じ頃、兄姉が相次いで病没し、一家は財政的にも精神的にも苦しい時期を迎えた。だが幸之助にとっては家族の元で学校に通えた貴重な時期だった。

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幸之助とむめのの子は長女の幸子と、夭逝した長男の幸一。他に複数の愛人との間に隠し子がいた。現在、幸之助直系の親族としてパナソニックに在籍するのは孫の正幸(副会長)と、慶応大から2011年に入社した曾孫の幸義がいる (注)誌面の都合上、きょうだいの順は勘案せず

9歳になると、大阪に出稼ぎに出ていた父の知り合いの店にでっち奉公に出ることになり、小学校を中退し和歌山を離れた。最初の奉公先の宮田火鉢店は幸之助が入った3カ月後に店を畳んだため、同じ大阪の五代自転車商会に奉公先を替え、そこで6年間を過ごしている。

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