在日外国人座談会(1)
あなたはどうして日本へ

──まずは自己紹介がてら、来日のいきさつをお話しください。

ヘレン・ベントレー(英国人出身):私は日本企業がビジネスをグローバルに展開するためのアドバイスを行うコミュニケーション&マーケティングスペシャリストをしています。2020年の東京オリンピック・パラリンピック誘致委員会で働いていた際には、誘致委員長に入札戦略をアドバイスするとともに、政府高官のためにキーとなるコミュニケーション設計を行いました。現在在籍しているフィンズベリーでは東京、北京、香港、シンガポールのチームと一緒に危機管理や国際的な企業価値を高めるための戦略アドバイスをしています。

最初の来日は6年半前、20歳のときです。オックスフォード大学で論文を書くための調査に来日しました。テーマは、英国で日本の会社がマーケティングやプロモーションをするにはどうすればよいかです。

■ヘレン・ベントレー / フィンズベリー バイスプレジデント
イギリス出身。在日歴6年。日本企業がビジネスをグローバルに展開するためのアドバイスを行うコミュニケーション&マーケティングスペシャリスト。2020年の東京オリンピック・パラリンピック誘致委員会でも戦略アドバイス、コミュニケーション設計を行う(撮影:尾形文繁)

英国と日本は、多くの共通点もあります。しかし、たとえばロンドンでは人口の3分の1が外国生まれの移民とその子供たちですが、日本には外国人はあまりいません。日英では文化も大きく違う。英国で(英語の)本を読んでいてもわからない点が出てきました。

6年半前に来日した際は、会話はぜんぜんできませんでした。日本語を勉強しないと生活できないと思ったので勉強を始めましたが、これは時間がかかると思いました。ロンドンはインターナショナルな街なので、英語が話せないと仕事はできないですが、生活はできると思います。でも、日本では日本語が話せないと生活できない。

ヤン・ルナール(フランス出身):日本語は事前に準備して会話ができるようになっても、来てみると使いこなせない部分があるんですよ。たとえば、文法がわかったとしても、空気を読めないってこともあって(笑)。

ヤン・ルナール / INSEAD日本同窓会 役員
フランス出身。在日歴19年。2013年にINSEAD経営大学院でグロバールエグゼクティブMBA(GEMBA)を取得し、INSEAD日本同窓会の役員に。フランス育ちのフランス人だが、初来日よりすでに19年。2015年より日本ヒューレット・パッカードで日産・ルノー担当のアカウントエグゼクティブとして勤務(撮影:尾形文繁)

「考えておきます」と言われたとき、イエス、ノー、どちらかが不明。どこの国の言葉でもあることですが、言葉の裏に意味があって、それを言わないことがある。ハイコンテクストなんですね。日本語はそれが世界でいちばんあるはず。

──そのヤンさんが日本に来たきっかけは。

ルナール:私はフランス生まれですが、隣国のドイツと日本が、第2次世界大戦の敗戦国から経済的に復活した。そのことに興味を持って、「どうしてか?」から始まったんですよね。1997年に初来日して以来、エネルギーやIT産業で日本内外のビジネス&コーポレートディベロプメントの分野に携わってきました。

日本に来る前にいろいろ調べました。で、日本人はすばらしいと。毎日毎晩、仕事をしていて、毎晩飲みに行って、終電やタクシーで帰って。翌朝の6時にまたオフィスにいて、「うわ、スーパーマンだよ!」みたいな。本当にそう思いました。

(全員笑う)

組織の中で情報がすべて共有されていて、みんなが同じ目標に向けて進行していて。そう書かれてあるから、「本当か?」みたいな疑問を持ましたが、どうもそうらしい。

──モハンさんはいかがですか。

モハン・モハナゴパル氏(インド出身):30歳で日本に来て以来ですので在日26年です。私はインドのソフトウエア会社に勤めていました。インドのIIT・IIM卒業者、33年のキャリアなかでIT業界のユニシス、タタ、サイベースで過ごし、カントリーマネージメント、プロダクトマーケティング、アライアンスマネジメント、セールスコーチング、などの役割を担ってきました。また、世界最大のNGO「ART OF LIVING」で21年間ボランティア活動をしています。

モハン・モハナゴパル / 日本ヒューレット・パッカード ビジネスストラテジスト
インド出身。在日歴26年。33年のキャリアのほとんどをIT業界過ごし、カントリーマネージメントやコンサルタント、セールス、プロダクトマーケティング、アライアンスマネジメント、セールスコーチング、技術開発などに従事(撮影:尾形文繁)

日本に来る直前は、タタ財閥と米ユニシス・コーポレーションの合弁で、そこから日本法人へシステムエンジニアとして出向することになりました。日本への労働許可証を申請し、許可が出たらその翌月にも赴任しなさいということだったので、すぐにバンガロールで日本語学校に通いました。

1990年の頃ですが、インドのバンガロールには日本語学校が1校だけありました。「1カ月で日本語を教えてください」と言ったら、先生が笑いながら「無理です」と(笑)。「数年間通っている学生もいる。グループレッスンだと毎日は授業がない。日本語はたいへんな言語だから」と。

それで個人レッスンにして、毎週5日間で4週間、レッスンを受けました。漢字、ひらがな、カタカナ、すべての知識がなかったので、全部ローマ字で。「konnichiwa(こんにちは)」から始めました。言語が好きなので(それなりに)上達したと思い込んでいました。

──1カ月の特訓で日本に来て、どうでしたか。

日本語の先生に「今までいろいろな学生がいたけれど、誰もお前くらい上手ではないよ」と言われました。でも飛行機で日本語のアナウンスを聞いて本当にがっかりした。ぜんぜんわからなくて。最後の「ありがとうございました」、これだけわかった。

日本語の基本的な会話である、「駅はどこですか?」「これはいくらですか?」はすぐできるようになりましたが、単語の意味など、理解が難しい表現がたくさんあります。たとえば「かった」。文脈がわからないと「買った」か「勝った」かわからない。「かえる」も「帰る」か「カエル」かわからない。

尊敬語も、もちろんわからなかった。それから、読むこと。これも難しい。漢字の経験がなかったので読めない。ただこれは、絵として視覚的に面白かった。

──いろいろな外国ができるのですよね。

言語を学ぶのは好きです。母語はタミル語です。英語は母語じゃないけど、いちばん楽なのは英語ですね。あとはインドでよく使われるヒンディー語。それと日本語ができます。ほかにフランス語、ドイツ語、ブルガリア語、ロシア語、フィンランド語、アラビア語がすこしできます。インドの地方の言語とかもできます。

──ではレ・ティ・タン・タオさん、日本に来られたいきさつは。

レ・ティ・タン・タオ(ベトナム出身):来日したのは2007年、25歳のときです。以前はベトナムの故郷にあるCanThoテレビ局で司会や気象予報アナウンサーの仕事をしていました。

来日のきっかけは、日本の文部科学省の奨学金をいただいたからです。ベルギーと日本の奨学金に受かって、両親に「どっちがいいかな?」って聞いて。両親も「日本のほうが近いからいいんじゃない?」って。(でも親の期待に反してベトナムに)結局、戻らない(笑)。

レ・ティ・タン・タオ / アサヒビール 経営企画本部 国際部主任
ベトナム出身。在日歴10年。東京農工大学で修士号取得後に日用消費財企業で8年間勤務。東京農工大学でJICAプロジェクトに参加後、アサヒビールに入社(撮影:尾形文繁)

ベトナムの大学農学部で勉強して、東京農工大学の大学院に来ました。最初はまったく日本語はゼロです。何しろ、日本語を勉強するよりも、修士課程で夜中の2時、3時まで実験ざんまいでしたから。

それでも日本語を学ぶのはすごく面白かった。いまでも尊敬語、オフィスで使える単語・文書に関して一所懸命勉強しております。通勤時間が長いので、電車の中でもネットのニュースや日本語の本(専門的な本)を読んでいます。もちろん、わからない時もあるので、すぐ同僚に確認して教えてもらうようにしています。

自分がラッキーだと思ったのは、旦那や周りのお友達がすごく親切だったこと。私が変な日本語を使っているとすぐ直してくれるし、先輩や同期との飲みニュケーションでも単語を教えてもらったりしました。読み書きは大事なんですが、人生を楽しく過ごしたいのであれば、やっぱりコミュニケーション能力(聞き・話す)の方が優先すると思います。

それから就職すると、企業研修がありますが、日本人でも帰国子女は日本語が上手でなかったり、電話をきちんと受けられない人もいたりして、引け目は感じなかったですね。アサヒビールでは8年目で、当初はメールのニュアンスなどはなかなか難しかったですが、ステップバイステップで伸ばしました。

(次回へ続く。第2回は明日4月14日(金)公開予定)

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