戦後最大の経済事件の舞台となったイトマン本社の入っていたビル

バンコク都心から車で2時間弱、大規模工業団地の中にジャノメタイランドの工場がある。お隣の韓国サムスン電子の家電工場に比べればやや小ぶりだが、従業員は1000人。売れ筋の家庭用ミシンを年間100万台生産し100カ国に輸出する。「日本から銀行の方が見学に見えると驚かれるんです」と、浅井浩一社長が言う。「『へぇ、こんなに大量に作っているんだ。ミシンなんて終わりかと思っていましたよ』と」。

親会社の蛇の目ミシン工業は一度“終わり”かけた。バブルのさなか、仕手集団・光進に株を買い占められ、価格の上がった株を引き取らせられることを含めて2000億円近いカネをむしり取られた。

以来26年間、配当したのは1回だけ。経営の神様と称される松下幸之助さえうらやんだ抜群の財務内容はガタガタになり、当時、入社まもない浅井社長の同期は半数が会社を去る。つらく、長い道だった。

虎の子の東京・小金井工場を売り、生産の主軸を台湾、タイに移した蛇の目は今年6月、事件以来2度目の復配にこぎ着ける。「今度こそ、1年限りの復配にはしない」。経営陣の胸を浸す切なる思いである。

イトマンは地上げマンを大抜擢

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