歴史上の人物は円筒形だと思っている。見る側の年齢、経験、立場によって相手の様相がくるくる変わる。評価も変わる。昔ほれ込んだ長所や美点が、鼻持ちならない臭みとなって、嫌悪感で身もだえすることがある。昔書いたことの修正も兼ねて、一人の人物を何度も本にすることもある。

私の場合は織田信長と西郷隆盛がその例で、共に5冊も6冊も本にしている。それだけ二人は多面性と奥の深さを持っている。坂本龍馬が勝海舟の指示で西郷に会った。会った印象を聞かれて次のように答えた。「えたいの知れない太鼓です。小さくたたけば小さく響き、大きくたたけば大きく響く」。坂本らしい人物評だ。

西郷は武人政治家として努力したが、江戸開城以後は武人としての成果はあまり冴えない。長州の大村益次郎にお株を奪われたからだ。情(努力主義)を重んずる西郷は、知(成果主義)に力点を置く大村に座を譲った。が、西郷の持ち味である情が光を放ったケースがある。庄内藩(山形県鶴岡市)酒井家の処分だ。

酒井家は徳川譜代の大名家で、幕末時も親幕の姿勢を貫いた。東北戦争のときも列藩の盟主的立場にあった。そのため降伏したとき、政府の処分案は厳しかった。大幅な減封と他地域への移封だった。

この案に対して藩民の嘆願運動が起こった。「減封はやむをえないが、この地(鶴岡)にとどまらせてほしい」。政府軍の参謀は西郷だ。西郷は征討総督に頼んだ。藩民の願いをかなえてほしい、と。結局移封は取りやめ、代わりに賠償金70万円納入に決した。藩主は私財をすべて差し出したが足りない。これを知った藩民がこもごも拠金した。30万円ほどになった。西郷は胸がキュンとなった。「もうよか」と、そこで打ち切った。そして藩主以下に告げた。「刀を捨ててくわを握ること」。藩主を先頭に武士たちは藩内の荒れ地を開墾し、松ヶ岡と名付けて共同作業に入った。この開墾地は今も健在だ。

プラスの視点 アクセスランキング バックナンバー一覧 TOP