米国のヒトコマ漫画の配信サイトで、こんな作品を見掛けた。

「私は漫画家だ。道具(ペンとインク)は無害なものばかり。ただしアイデアの闘いになれば武器となる。私は人生を懸けてまで、誰かと連帯したことがない。そう、今までは。が、私はもうただの漫画家ではない。私はシャルリだ(Je suis Charlie)」。

シャルリは男の子の名前である。英語ではチャーリー。スヌーピーの飼い主と同じ名前だ。そして週刊紙だから「エブド(Hebdo)」。「週刊チャーリー」と覚えればよい。

1月7日、この週刊新聞社がイスラム過激派に襲撃された。テロに抗議してフランス全土で370万人(人口の5%以上!)のフランス国民が日曜日のデモに参加し、メルケル独首相はじめ世界40カ国の首脳がオランド大統領と腕を組んでパリを行進した。

ただし、事件に対しては冷ややかな反応も少なくない。「漫画家たちは、イスラム教徒を刺激しすぎたのではないか」というものだ。彼らは意図的に宗教的禁忌を破り、犯行を招き寄せてしまった、それは自業自得ではないのか。

ことに日本の言論空間では、自国に縁の薄い事件はけんか両成敗(どっちもどっち)的な整理をされやすい。移民という弱者への肩入れもある。フランス人は自由を貴ぶが、異教徒への配慮が足りなかったのではないのか、と。

ヘイトスピーチも自由?

だが、それで漫画家や新聞社を責めるのは、レイプの被害者が後から「挑発的な服装をしていた」とそしられるようなものだろう。「描く」人を「撃つ」行為の卑劣さは、断じて許されるものではない。

確かに、フランス発の漫画の中には、東日本大震災の原発事故の際に「手足が何本もある相撲取り」を描いた作品もある。日本のメディアであれば“自己規制”するような趣味の悪い風刺を、彼らは堂々と掲載していた。

表現の自由を守る難しさがここにある。表現の自由は守られねばならない。が、一方で、人をあからさまに傷つける行為は許されていいのか。表現の自由は、言論・報道の自由を守ることが自明なほどには自明でないケースがしばしばある。「ヘイトスピーチ」や「国旗を焼くパフォーマンス」などの行為である。

北朝鮮の指導者を揶揄したソニー・ピクチャーズの映画『ザ・インタビュー』も、見た人から肯定的な評価を聞いたことがない。それでサイバー攻撃の標的となるのでは、まったくやりきれない。

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