発掘! 1999年8月28日号で構造問題を活写

変わらない社内体質とガバナンスが連続不祥事を生んだ

3度目の不正隠しが発覚、半ば追い込まれる形で日産自動車の軍門に下った三菱自動車。

最初に大規模リコールが発覚したのは2000年ですが、振り返ってみればその2年前、1998年3月期に1000億円を超す連結最終赤字を計上した段階で、苦境は明らかでした。

スリーダイヤの三菱グループの後ろ盾が期待できなかったことが、ゴーン日産に倒れこんだ一因です。が、当時は日産自動車も経営危機にあり、ルノーの資本を受け復活した経緯があります。

三菱自はダイムラーの支援を受けますが、すでにボルボの出資を受けていたトラック部門の三菱ふそうとの資本のねじれがあり、さらに日産にはなかった財閥資本がグループ合計では最大株主という、複雑な立場にありました。

労組や現場と激しく対立しながら、工場閉鎖など一気にリストラを進める辣腕ゴーンの日産。それを横目に、リコール隠しも加わった三菱自のダッチロールは続き、社内体質を一新する機会を最後まで逃したまま、現在に至ります。

最後に頼った先が、そのゴーン日産だというのも、不思議な因縁を感じます。三菱自の体質に迫った力作をセレクトしました。

(週刊東洋経済プラス編集長 山川清弘) (週刊東洋経済プラス編集長 山川清弘)