「失われた20年」の影の主役

銀行の不良債権処理を生き抜いた時代

今回は今週号の特集「ゼネコン バブル超え」と連動して、1990年代後半からのゼネコン危機を中心にセレクトしてみました。

銀行の不良債権の裏側が企業の過剰債務。「大口債権者30社リスト」と言われ、ダイエーなど負債にあえぐ大企業がクローズアップされましたが、約半分はゼネコン・不動産企業でした。

メインバンクの言うなりはイヤだが、本気で債権回収されては困る。銀行もゼネコンは「大きすぎてつぶせない」。そのせめぎ合いともたれ合いの中で、創業家の経営者は退場し大手も赤字決算に転落。準大手クラスまで法的整理が広がる中、スーパーゼネコンは業界再編せず縮小均衡で乗り切ろうとします

そうした中で2001年12月の青木建設破綻を引き金に、ゼネコン最終処理が加速しました。「銀行・ゼネコン負の連鎖」の終焉です。

私がゼネコンを担当していた2001年4月~03年3月が、ちょうどその最終処理のピーク。年に4回の『会社四季報』の記述を書き直すたびに、法的整理で上場廃止となるゼネコン、債務株式化や会社分割の方針を出すゼネコンのオンパレードでした。

担当交代直後の03年4月3日に熊谷組が飛島建設と資本提携すると発表し、準大手クラスの破綻処理や再編は一段落しました。民主党の勢力拡大とともに政官業のもたれ合いの構造は瓦解し始め、しぼむ日本の建設市場を尻目に海外へ打って出たスーパーゼネコンが施工管理を徹底できずやけどする例もありました。

受注産業、多重下請構造など、業界の体質は大きく変わっていません。それでも、東日本大震災の復興需要、東京五輪の開催準備もありスーパーゼネコンを中心に過去最高益の勢いを取り戻しました。そうした流れの一断面として各記事をご覧下さい。

 

(週刊東洋経済プラス編集長 山川清弘) (週刊東洋経済プラス編集長 山川清弘)