1990年代末のIMF管理からは復活したが・・・

資源高の陰で蓄積した矛盾

リオデジャネイロ五輪では日本選手の活躍が続いています。今回は前回に続いてブラジルをテーマにします(写真は首都ブラジリアのメトロポリタン大聖堂)。

直近ではリオ州に「非常事態宣言」が出されるなど、五輪開催が危ぶまれた混乱した国家のイメージが強いブラジル。1990年代後半は経済危機をくぐり抜けています。

80年代から停滞が続いていたところ、ロシア危機がアジアや中南米に広がり、中国と並んで世界経済危機の発火点となる寸前まで追い込まれます(1999年2月27日号)。IMFの融資を受け変動相場制へ移行、その後は比較的順調に財政再建を果たし、2005年に債務を完済します(02年にはラフェル外相が来日、本誌のインタビューに応じています)。

復活の背景には資源高があり、食料大国となったブラジルはバイオエタノールで攻勢をかけ、アマゾン川周辺の環境問題も懸念されるほど。政府の経済危機対応策が効果を発揮し、GDP成長率も回復します。

ただ、うたげは長く続かず。金融緩和や商品価格の高騰でインフレが過熱してしまいます。ルセフ大統領は歳出削減で対抗しますが、金融引き締めと通貨レアル高によりマイナス成長に転落。現在まで混迷が続いています

リオ五輪開会式ではテメル大統領代行にブーイングが出るなど、国民の不満も高まっています。五輪に先駆けて2014年に開催されたサッカーW杯でも開催前に反対デモが起きるなど、商業主義的な国際スポーツへのブラジル国民の目は厳しい。ポスト五輪は、さまざまな問題が表面化しそうです。

(週刊東洋経済プラス編集長 山川清弘) (週刊東洋経済プラス編集長 山川清弘)